ガムランなでしこへの道<2>「ガムラン・フリーク」
2009年 06月 08日

photo(上下):小原孝博
びゃ〜〜ん、じょじょじょじょじょん、ぴゃらころきりれろ、、、ごおお〜〜ん。
「すごいよなあ、、、。」
数年前の、ある夏の日に思ったのだ。
ガムラン練習日。汗を流し、時には歯をくいしばって、しかしほとんどは、よだれを垂らしながら、一日中、大音響を鳴らしまくる人たち。
本番が近付くと、毎週末のように集まってくる。まるで花の蜜に群がる蜜蜂のように。
ぐるんぐるんと音楽は繰り返され、音がたゆたい、気が付くと朦朧としていたりする。体力と集中力の限界に挑戦、、、って、君たち体育会か?(自分もか)。
「すごいねえ、みんなガムラン好きなんだよねえ。」
と言ってみると、妙に目が泳いだりして、意外とシャイな人が多いんだ、これが。
だいたい、楽器を演奏する人間は、歌を歌ったり踊ったりする人に比べて、断然、シャイである。
音楽するのは大好きだけれど、自分の身体をさらけ出すなんて、照れくさいじゃあないか。その点、楽器は他人と自分との間に優しく存在し、しかも自分が愛情を注げば注ぐほど、それ以上の愛を与えてくれるのだ。自分にもそして周囲の人々にも。
きゃあ、楽器は愛のキューピットちゃんなのね。あ、もっともっと大切にしなくっちゃ、マイ楽器、車に積みっぱなしだったりするのもある。だって、しょうがないじゃん、あの重いヒト(楽器)たち、私の腰も守ってちょうだい、、。
え〜と、ガムランバカの話だった。
みんな、どこから、この情熱が生まれてくるのだろうか?
それぞれに思いは違うが、ガムランという、ひとつの時空を共有するために、もう何年も、繰り返し、私たちは集うのだ。
自分は、といえば。
まだ10代の頃、音楽大学を志すことに決めた時からずっと、音楽家という職業にこだわってきた。自分に音楽の才能があるかと問われれば、あるような、ないような、それさえも確信もなく、しかし、何がしかの夢と希望のようなものに引きずられて、自分探しに夢中だったあの頃。
この”第一の青春時代”に、ガムランという音楽と出会った。
あの頃は、自分がヨーロッパのクラシック音楽を演奏し続けることに限界を感じ始めていた。音楽大学に在籍しながら、ジャズや日本の伝統音楽や各国の民族音楽など、手当たり次第に吸収しようとした。その中で、インドネシア・バリ島のガムランを演奏する学内サークルと出会ったのだ。
大学にはまだ学生が自由に使えるガムラン楽器がなく、サークルの練習は、世田谷区内の瀟酒な邸宅で行なわれていた。当時サークル指導をしていた民族学者T氏の自宅。友人に連れられ、ある練習日に訪ねると、膨大な資料が詰まった書棚に囲まれた二階の一室に、怪しい楽器が並んでいた。
見学だけのつもりだったが、「はい、これどうぞ。」と、いきなり桴(ばち)を渡される。大きな鍵盤の低音楽器だった。当たり前のように曲が始まる。演奏しながら、優しく、その楽器の鳴らし方を教えてくれる先輩方。旋律がすんなりと頭の中へ入ってきて、流れるように素直に音楽に入り込んでいた。練習が終了し、帰宅する頃には、入会の約束をしていた、ように思う。
これが始まりだった。
学生の頃の自分は、妙に体制批判の精神を掲げて喧嘩っ早かったので(今もか?)、邦楽サークルの先輩やピアノの先生などと、やり合ったりしていた。当時、超少数派の東南アジアの音楽芸能は、自分にとって格好の”反骨スタイル”そのものでもあったのかもしれない。なんといっても今から二十数年も前のこと、当時、我が出身の音楽大学では、「ヨーロッパ音楽以外は音楽じゃない」くらいの、なんともお固い空気が漂っていたのだ。
我々は日本人、アジア人じゃないのか?
私はショパンにもベートーベンにもなれない。
なんで、そんなに先生方、遠いヨーロッパに入り込めるのですか??
今、思えば、「なんでそんなにバリ島の音楽に入り込めるんですか?」って逆に聞かれちゃうのだから、自分も結局同じな訳で、その先生方のお気持ちも今は、すごくわかる。それに私も、ヨーロッパも大好き、だし。
でも若気の至りですか、「アジアの音楽」という大義名分を掲げ、まるで自分が物凄いモノを発見したように、バリ島の芸能や芸術なるものを信奉していった。
とはいえ、やはり、ハマっていく理由はそんなカッコヨイ大義名分だけではなかった筈だ。
何だろう。理屈じゃない、この感じ。
とにかく、うっとりしちゃうの。そうよ、うっとりしちゃうのよ。
音楽は麻薬。
どんな民族の文化においても、元来、音楽は儀礼や儀式と切っても切れない関係にあった。目に見えない何か恐れ多いもの、神聖なものを迎えるために、彼等に相応しい場を作る。
音楽はその場にあるものすべてに伝わる振動である。長い時間をかけて磨き上げられ、光り輝く音の建築物たち。オーケストラもコーラスも、大好きな歌手KHさまやMYさまの美声も、アフリカの太鼓だってK志郎さんだってボサノバだって、なんだって音楽は、全身を余すところなく揺さぶる光の粒子なのだ。
今、この瞬間、この楽器の前にいる我々は、皆、その妙薬の味を知る、音楽バカである。音楽バカの中でも、日本においては、まあ、少々特殊な部類の「ガムラン・フリーク」。
筋金入りのガムラン・フリークは、日々、“ガムランの道“を邁進している。
ガムラン侍、ガムランなでしこ、になってみようじゃあないか。

by motos_terangbulan
| 2009-06-08 19:49
| 随筆・ガムランなでしこへの道

